材料組織のデジタル評価技術
2026年7月
技術開発本部 コア技術研究開発センター
第一研究開発室
1. はじめに
転がり軸受(以下、軸受)は、自動車や産業機械において回転を支える重要な部品であり、その寿命は製品全体の信頼性に直結します。軸受には非常に大きな面圧が繰り返し作用するため、軸受表面がうろこ状に剥がれる「はく離」と呼ばれる疲労損傷が発生します(図1)。軸受の寿命は、はく離が発生するまでの時間として定義されます。
図1 軸受内輪に発生したはく離の外観1)
はく離の形態は、潤滑状態や損傷の起点によって異なります2)。代表的なものとして、軸受に用いられる鋼材中の不純物を起点とする「内部起点はく離」があり、これは材料内部で、き裂が発生・成長した後、表面に到達してはく離に至る現象です。近年では鋼材の清浄度向上により、この内部起点はく離の発生が抑制され、従来の計算寿命の10倍以上の耐久性を示す場合もあります。そのため、寿命予測のさらなる高精度化が求められています。一方で、過酷な潤滑条件下では、異なる損傷モードが支配的となります。例えば、潤滑油中に混入した異物によって形成された圧痕を起点とする「表面起点はく離」や、鋼中の水素量が増加した状態で生じる「白色組織はく離」では、寿命が計算値の約1/10にまで短くなることがあります。このため、上記の条件下では長寿命化が大きな課題となっています。これらのはく離には、材料や熱処理による組織制御が有効であり、NSKでは様々な長寿命材料・熱処理技術を開発・実用化してきました。
以上のように、NSKの材料研究では「はく離を予測すること」と「はく離を防ぐこと」の両方を重視して研究開発を進めています。はく離は使用環境によって原因が大きく異なるため、それぞれに適した対策が必要です。そのためには、個々の損傷メカニズムを材料の組織という観点から正しく理解し、発生や進展を定量的に評価できる実験や解析の基盤を整えることが重要です。このような背景から、材料組織分析手法の高度化・体系化に取り組んでいます。
2. 金属組織と従来評価法
軸受には高い疲労強度や耐摩耗性が要求されるため、高炭素クロム軸受鋼(SUJ2等)や浸炭鋼が使用されています。これらの材料は熱処理により、硬質なマルテンサイトや軟質なオーステナイト、炭化物を含む複雑な金属組織となります。中でも大半を占めるマルテンサイト組織は、パケット組織やブロック組織と呼ばれる階層的な組織から構成されており、これらの組織が疲労強度に影響を及ぼすことが知られています。このような組織的特徴を把握する手法として、従来、腐食処理による組織観察が行われてきました。図2は、軸受鋼SUJ2の光学顕微鏡(a)及び走査型電子顕微鏡(b)による組織観察結果です。図2(a)では腐食処理によって組織の一部が選択的に強調されるため、結晶粒界(旧オーステナイト粒界)の分布やその形状を視覚的に把握することができます。また、図2(b)ではマルテンサイトのブロック組織や球状化炭化物を確認することができます。しかしながら、光学顕微鏡観察(図2(a))や電子顕微鏡観察(図2(b))では、マルテンサイト内のミクロ組織が必ずしも明瞭ではなく、観察像のみから組織単位を定量的に識別することは容易ではありません。
図2 軸受鋼の組織観察例
(a) 光学顕微鏡写真 (b) 走査型電子顕微鏡写真
3. 軸受鋼の組織分析における課題とさらなる高度化の取り組み
一方で、近年、電子線後方散乱回折法(EBSD:Electron Backscatter Diffraction)という手法の発展により、金属組織中のより詳細な情報を高精度に取得できるようになってきました。図3に、EBSDによって取得した軸受鋼SUJ2の分析結果を示します。この図は結晶方位マップと呼ばれ、従来法では判別が困難であった組織内部の結晶粒を可視化して評価することができます。なお、図3内の着色されている領域の一つ一つがマルテンサイト結晶粒です。例えば、白の破線で囲まれた旧オーステナイト粒界には、複数の微細なマルテンサイトの結晶粒が存在することが分かります。このような微細な結晶粒のおかげで軸受鋼は高い強度を示します。
結晶粒径は、材料の平均的な強度と相関する有用な指標ですが、近年では、それに加えて結晶粒毎の局所的な特性の重要性が指摘されています。特にマルテンサイト組織では、結晶ごとに変形しやすい方向3)や偏差的な残留応力4)が存在し、力学特性に方向依存性(異方性)が生じることが知られています。この異方性は、局所的な強度のばらつきを引き起こし、同じ材料であっても予期しない早期破損につながる可能性があります。従って、材料強度を高精度に評価するためには、平均的な特性を示す結晶粒径に加え、こうした異方性を把握することが重要です。
マルテンサイトの組織は「バリアント」と呼ばれる分類が可能です。各バリアントは異なる結晶方位を有し、すべり変形しやすい方向も異なります。そのため、同一の旧オーステナイト粒に形成されたマルテンサイトであっても、バリアントごとに異なる変形挙動を示します。材料強度を本質的に理解するためには、強度のばらつきに関わるバリアントを可視化し、結晶学的観点から整理する必要があります。一方で、実際の材料の結晶方位は極めて大きくばらついているため、従来の手動によるバリアント識別では、分類基準の曖昧さや大規模データへの適用の困難さが課題となっていました。また、軸受内部には接触によるせん断応力が広範囲に作用するため、バリアント識別を個々の結晶だけではなく、空間的な分布に着目して評価することが求められます。このような課題に対し、本研究では、バリアントを自動的かつ定量的に分類し、その空間分布を定量的に評価する手法を構築することにトライしました。
図3 軸受鋼金属組織の結晶方位マップ
4. Pythonを活用したバリアント識別・可視化
EBSDにより取得される結晶方位データは、条件によっては数千万点に達する大規模データとなります。このようなデータを人手で解析することは現実的ではなく、高速かつ再現性の高い計算手法が必要となります。本研究では、結晶方位を「任意軸の回転操作」として解釈し、Rodrigues–Frank回転空間という三次元空間上の点として取り扱いました。この空間では、回転角度の大きさが「距離」、回転軸が「方向」に対応しており、似た結晶方位ほど近くに分布するという特徴があります。この表現はベクトル演算と親和性が高く、Pythonの数値計算ライブラリを用いることで、数千万規模のデータに対しても一括処理が可能となります。その結果、従来は複雑であったバリアント識別を、三次元空間における幾何学的な近接判定という単純な問題に置き換えることができ、解析の効率化と再現性向上を実現しました。さらに、回転空間におけるバリアント情報を実空間に転写することで、同一バリアントが連続する領域をマルテンサイト組織の基本単位であるブロックとして定義し、組織としての分布を可視化できます。次節では実際の材料データに対する解析結果を示します。
5. 軸受鋼のマルテンサイトにおけるバリアント識別
図4 R-F回転空間におけるマルテンサイトの方位分布
図4は、ある結晶粒内に生成したマルテンサイトの結晶方位を、Rodrigues–Frank(R-F)回転空間上にプロットしたものです。結晶方位は切頂六面体内の一点として表現されます5)。R-F回転空間を用いて結晶方位データを解析した結果、マルテンサイトの結晶方位は一様に分布するのではなく、複数の明確なクラスタに分離することが確認されました。図5に、同データに対して従来手法で結晶方位を分析した結果を示します。両者を比較すると、R-F回転空間では、より明確にクラスタの存在が視認できます。すなわち、マルテンサイトの結晶方位は特定の領域に集中して高密度クラスタを形成し、その間には点数の少ない領域が存在します。
図5 (a)極点図によるマルテンサイトの方位分布と(b)方位関係の一例
このクラスタ構造は、R-F空間上の位置関係に基づいて整理することで、より体系的に理解できます。まず結晶方位は、図4における色に対応した3つのグループに分類されます。これはマルテンサイト変態時の格子変形様式に対応するBainグループ(B1、B2、B3)と呼ばれるものです。さらに、各Bainグループの周囲には4つのクラスタが確認されます。これらのクラスタは、CPグループと呼ばれるグループに対応します。さらに各CPグループは2つの対をなしており、合計3×4×2=24のバリアントに分類できます(より厳密な分類方法は参考文献6)をご参照ください)。このように、BainグループとCPグループによる整理により、結晶方位は階層的に分類することができます。
結晶方位を体系的に分類することにより、Bainグループからは結晶粒に固有の残留応力方向、CPグループからは変形容易方向を推定することが可能となります。以上のような回転空間上の分布特性を用いることで、R-F空間上の座標から各測定点に対してバリアント番号を一意に割り振ることができます。次節では、これらのBainグループ、CPグループが実際の組織中でどのように分布しているかについて述べます。
6. 軸受鋼のマルテンサイトにおけるブロックの分布
図6は、軸受鋼SUJ2について、EBSDにより取得した結晶方位データに対し、5節で示したR-F回転空間に基づくバリアント識別を適用した結果です。(a)は、結晶方位マップで、結晶方位ごとに色が塗分けられています。(b)、(c)は、R-F空間に基づくバリアント識別結果を実空間に転写したものです。(b)では結晶粒固有の残留応力方向に対応したBainグループが赤・緑・青で、(c)では変形容易方向に対応したCPグループが黄・赤・緑・青でそれぞれ可視化されています。また、残留オーステナイト及び炭化物はそれぞれ白及び黒で示し、バリアント判定が困難であった領域は灰色で示しています。さらに、結晶粒界を白線で示しています。
図6 R-F空間を用いたマルテンサイトバリアント識別結果
(a)結晶方位マップ (b)Bainグループ (c)CPグループ
本解析では、測定範囲に含まれる約200万点のマルテンサイトに対してバリアント識別を適用し、そのうち約96%の点について分類に成功しました。この結果は、本手法が大規模な結晶方位データに対しても高い適用性と再現性を有することを示しています。さらに、このマップは測定点毎にバリアント24種類に固有の色を割り当てています。各ブロックが単色で表示されていることから、軸受鋼のマルテンサイトは1種類のバリアントからなるブロックを形成していることが確認されました。これは、低炭素鋼に見られる2種類のバリアントで構成されるブロック7)とは異なる傾向です。さらに、結晶粒内におけるBainグループの分布に着目すると、3つのグループは概ね同程度の割合で存在し、互いに複雑に入り組んだ配置を示しています。一方、CPグループの分布に注目すると、同一グループに属するバリアントが空間的に連続して存在する傾向が確認されました。これは、変形容易方向が局所的に揃っていることを示唆しており、応力負荷時の変形挙動やき裂発生位置との関係が示唆されます。
以上の結果より、R-F回転空間に基づくバリアント識別結果を実空間へ転写することで、結晶粒固有の残留応力方向に対応したBainグループと、変形容易方向に対応したCPグループを可視化できることが分かりました。このように、結晶学的情報に基づく組織の可視化を通じて、材料強度のばらつきに関わる異方性の理解に近づいたと考えられます。
7.まとめ
本稿では、軸受のはく離寿命に影響を与える材料特性として、従来の指標である結晶粒径に加え、近年重要視されているバリアントの異方性に着目しました。
異方性を定量的に評価するために、R-F回転空間を用いたバリアント自動識別手法を提案し、大規模な結晶方位データに対する結晶学的分類と分布評価を可能としました。さらに、実際の軸受鋼に適用することで、バリアントの空間分布とそれに対応する残留応力方向や変形容易方向といった、材料強度に影響を及ぼす特徴を可視化できることを示しました。
本手法は、これまで困難だったマルテンサイト組織の異方性を定量的に評価する新たな手段であり、軸受の損傷メカニズムの理解や寿命予測精度の向上に寄与するものと期待されます。これらの取り組みを通じて、軸受のさらなる高信頼性・長寿命実現し、NSKは安心・安全な社会及びカーボンニュートラルの実現に貢献していきます。
参考文献
1) ベアリングドクター(軸受の損傷と対策)、
NSK Webサイト:https://www.nsk.com/jp-ja/tools-resources/troubleshooting/
2) 三田村宣晶、“転がり軸受の疲れとその研究動向”、トライボロジスト、53-10 (2008)、641–646.
3) Yoji M(他4名)、“Micro-tension behaviour of lath martensite structures of carbon steel”、Materials Science & Engineering A 560 (2013) 535–544
4) Fukui D(他2名)、”Internal residual stress originated from Bain strain and its effect on hardness in Fe–Ni martensite”、Acta Materialia 196 (2020) 660–668
5) Youliang H(他2名)、“Representation of misorientations in Rodrigues–Frank space: Application to the Bain, Kurdjumov–Sachs, Nishiyama–Wassermann and Pitsch orientation relationships in the Gibeon meteorite”、Acta Materialia 53 (2005) 1179–1190
6) Tamura K(他3名)、“Microstructural Characterization of Martensite Formed in Highcarbon Steel Based on Rodrigues-Frank Space”、ISIJ International、64 (2024) 218–225:https://doi.org/10.2355/isijinternational.ISIJINT-2023-211
7) Morito S(他4名)、“The morphology and crystallography of lath martensite in Fe-C alloys”、Acta Materialia 51 (2003) 1789–1799